眠れない夜の救済音楽

こんにちは。

 

季節は巡り、もう上着もいらない今日この頃。

真夜中に外へ出るとふと、あの湿気た夏の匂いが死を彷彿とさせます。

 

 

みなさんは救われたい時どんな音楽を聴きますか?

 

 

 

オルタナティヴ・Lo-Fi・アンビエント・ブラックミュージック...

 

J-POPに飽き足らずさまざまな音楽ジャンルがこの世の中には存在して、入り混じっています。

 

自分もここら辺は最近やっと少しずつ勉強し始めたので他に比べたら全くと言っていいほど知識はありません。

 

 

誰かから聴いた話ですが、人によって音楽の聴き方が2つに分かれるそうで。

一つは歌詞を重視する。もう一つは演奏を重視する。

自分は旋律を聴いてから歌詞に惹かれるのが主なのですがみなさんはどちらなのでしょうか。

 

 

話が逸れましたね、本題に入ります。

今回はこんな音楽知識を長々と話すのではなく、自分がこれまで救われた曲をいくつか紹介し、今これを読んでいる世の中の誰かが救われればいいなあと思います。

 

 

 

一曲目

「僕が死のうと思ったのは/中島美嘉

 

この曲に出会ったのはちょうど高校の頃でしょうか。

いつ消えてもおかしくないあの頃、姉の車でこの曲が流れたのを覚えています。

あのなんとも形容し難い、ぐちゃぐちゃに絡まった感情を優しく解いてくれる様な曲だと思います。

 

「死ぬことばかり考えてしまうのは、きっと生きる事に真面目すぎるから」

 

 

 

二曲目

「光の方へ/カネコアヤノ」

 

この曲はメロディが好きで聴いていたのですが、いつの日か鬱になった時に静けさに飲み込まれて押し潰されないよう適当に流した曲がこれでした。

カネコアヤノさんの力強い歌声で共感しながらも前へと背中を押してくれる様な感覚。

心が少し軽くなったような気がしました。

 

「壊れそうだよな僕等、次の夜には星を見上げたい」

 

 

 

三曲目

「唯一人/爆弾ジョニー」

 

この曲はきっと、今の自分の人生観に影響を大分与えたと思います。

世間からあぶれているのを自覚し始めて、周りの目を気にして真っ当に生きていくべきなのか。

自分の生き方に迷走していた頃、この曲が道標になったと思います。

 

「君にしかできないことなんてないかもしれないけど、何もしないまま消えてゆくのかい」

 

 

 

 

四曲目

「躁鬱電池メンタル/神聖かまってちゃん

 

このバンドには深い思い入れがあります。

またどこかで書きますが。

特にこの曲は自分が中学の時出会ったのですが、

この曲を聴いた後、声に出して言えない事を全て言ったような心の軽さがありました。

 

「躁鬱電池メンタル怖い夏、病める夏、会いたくないよ」

 

 

 

 

この辺にしておきましょうか。

是非気になった曲を聴いて救われれば、と思います。

逆に教えてもらえるとありがたいです。

 

 

おやすみなさい

人生 Vol.終

長々とまとまらない文章を書いてきました。

 

何か思い出すと芋づるで色々な感情も出てきて、ぐしゃぐしゃになってしまいましたが

皆さんは結婚願望とか将来設計はありますか?

 

 

 

 

スマホ主義の世界で母に携帯を没収され、誰とも連絡を取れず虐められたあの頃や身内や友人が死を選ぶ場面。

親に全てを否定されて、自分も死を選びそうになった日

嫌いだと思っていた人がいざ弱った途端「守ってあげたい」と都合の良い解釈をしてしまう自分

 

色々な時間や場面を家族と共に過ごして、最終的に自分達は少しずつ成長してきたかと思います。

 

 

 

その中で最近自分の中で理想の人生が出来たわけで、やっぱり色々規制されると自由になった時の反動がもの凄いんですね。

 

 

 

とにかくやりたいことをやりたい。

後悔を残して死にたくない。

 

 

父が癌にかかって数日後自分に言ったんです。

「もう怒ったりしたくない。後悔するから」と

 

母は自分が家を出て数ヶ月後に言ったんです。

「あの時教育を間違えてしまった。ずっと後悔している」と

 

姉は通話をしている時に行ったんです。

「お前をあの家に1人にして本当に後悔している」と

 

 

 

全く後悔せずに生きていくのは無理です、自分も後悔した事はあります。

 

でもこれから生きていく上で「あの時やっておけば良かった」と後悔して死ぬのは絶対に嫌です。

誰しもが道を間違えると思いますが、やりたい事をやらないまま死んでしまうのはせっかく人間に生まれたのに勿体無いと思うんです。

 

やりたくても出来ないことがあるのなら、実現するまで生きれば良い。

やりたくても叶わないなら、何もしないまま死ぬよりも少しでもやって死んだほうが良い。

 

そう思うんです。

 

 

友人の言う家族の愛情や、正しい環境を家族含め自分達は知りません。

これから産まれてくる子供を巻き添いにするくらいなら結婚する気もありません。

きっと自分は家庭に縛られるのが嫌になると思うし、そもそも世間の目が求めている様な恋愛は出来ません。

 

 

「あー、今自分めちゃくちゃに楽しい!ずっとこの生活が続けば良いのに!」と思った時に自分は死にたい。

 

それがいつになるかは分かりませんが、ただひたすら自由に生きていきたい。

泣いて生まれたなら笑って死にたい。

 

 

 

上手くまとまりませんが、言いたい事伝わっていますか、、?

 

まぁ独り言なので「ふーん」で良いのですが。

 

 

 

人それぞれなのでこれを強要するわけではありませんが、こう言うのが理想だよね!と言う話でした。

 

 

 

 

以上

人生vol.7

父親が癌になってから、完全に家は変わりました。

 

 

きっとお互い沢山道を間違えて、一緒に歩いて来たんだろうと思います。

 

 

 

 

1人暮らしを始めて、余計な考えが止まらなくなり睡眠薬を大量に飲んだ夜があります。

2日間の記憶が飛びました。

 

眠れない日が続いて精神科へ通う日々もありました。

どんどん薬が効かなくなって、どんどん薬の量が増えて、お金が無くなったから通えなくなって、毎日酒を飲む日々が続いています。

 

 

 

 

その時必ず思うのは、完全に変わった家の事と変わる前の家の事。

 

 

 

実家へ帰った時、母親は毎回私に謝るんです。

「あの頃はごめんね」と。

 

 

父親は毎回言います。

「もう怒ったりして後悔はしたくない」

 

 

 

それを言われた時、皆さんならどう思うでしょうか。

自分は言われた時、全てを許します。

「なんの事?」ととぼけ、「まあ人間だから間違える事は沢山あるよ」と。

 

 

 

 

じゃあどうして毎日酒を飲んだり寝れなくなったりするんでしょうか。

きっとどこかで、子供の頃の自分が全てを受け入れられず、恨んでいるからです。

 

 

親を許したいのはもちろん、そんなの都合よくない?とふと思うんです。

 

 

やった方は謝って許されればそりゃ良いだろう。でも許す方は許したくてもふとした時に思い出して、涙が出て、眠れない。

前の様に親が暴力を振るわないからもう愛されていない、親不孝者。

そんな事を考える自分すら嫌になって、嫌いになっていく。

 

 

周りはどんどん先へ進んでいるのに、自分はまだ取り残されて、あの頃を取り返そうともがいている。

 

とても不平等じゃないか。

 

 

 

 

今の自分は側から見れば、やりたい事ひたすらやって、何も考えてなくて本当に羨ましい。と色々な方に言ってもらえますが、自分からすれば自分はいつまでも子供時代に取り残されて成長できないままで、周りは過去に囚われず時間通りに成長していて羨ましいなと思います。

 

 

隣の芝は青く見えるってやつでしょうか。

 

 

 

 

 

でも最近、徐々に過去の記憶が薄れています。

まだまだ思い出す事もありますが、全て踏まえた上で笑い話に出来る様に、ゆっくりと時間が解決しているんですかね。

 

 

 

 

それよりも何よりも、今年20歳になってうっすら見えていた人生設計が段々明確に見えてきたからだと思うんです。

 

 

 

 

 

 

自分の人生、早めに幕を閉じそうです。

 

 

人生vol.6

コロナ禍から学年が上がる頃、ひたすら現実から逃げようと薬を大量に飲む日々。

 

実家に居るのをやめ、祖母の家に住みました。

 

現状は変わらなくても、少しでも気が楽になれると思いました。

何もなく、ひたすら流れる日々、泣きながら母親に謝罪をする日もありました。

家に閉じ込められる事も、死んでしまおうと思った時もありました。

 

 

それでもひたすら友人と支え合って、生きる道を照らし合いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

長いコロナ禍が終わり、学校が始まって、全てを受け入れ、薬を飲むのも辞めてからは生きやすくなりました。

 

世の中には色々な人がいる、と飲み込めたんだと思います。

 

 

 

高校三年生、音大に行く事を決めました。

 

これまでずっと音楽だけを頼りに生きて、楽団で打楽器や演奏の楽しさを知って、あれだけ強要されていた音楽を自らやりたいと思えた事

これしか進む道がない、と思いました。

 

 

 

音大も無事に入学。

相変わらず友達は暫く出来ませんでしたが、やりたい道が出来たのは自分にとっての大きな一歩だと思います。

 

 

 

 

 

きっと親自身も、何かに気付いたんでしょうか。

暴力を振るう事も無くなりました。

 

でもそれを自分は愛されていない、と感じる様になっていました。

貴方のことを考えているからやっていると言われていた日々、それが急に無くなってから思ったのは安堵ではなく不安でした。

 

そんな不安が続く中、父親が搬送されました。

 

 

 

 

 

 

 

 

正直、自分の家庭環境に気付いた時親には恨みしかありませんでした。

これからもきっとずっと恨むだろう、そう思っていました。

何かを悪者にすれば自分は救われるから、ずっと恨み恨まれる関係でいたかったのかもしれません。

 

 

 

 

 

父親は、癌でした。

 

 

 

 

 

 

 

あんなに恨んでいた筈の親が、いざとなるとこんなに悲しいなんて、どれだけ自分は都合がいいんだろうと思いました。

 

 

あんなに恐かった父親、あんなに暴力を振るってきた母親を今は支えたいだなんて、自分はまだ洗脳されているのか?

いや、そもそも強要されていた音楽の道に進むなんて結局親の犬じゃないか?

自分は何をしたら正解で、何をしたら報われるんだ?

 

 

 

 

 

今でも正解は見つかりません。

 

続く

人生vol.5

高校に入ってからというもの、自分はあまり人付き合いが得意では無くなかなか友達が出来ませんでした。

 

母親の機嫌を取るのが必死で、県の楽団へ入団しました。

母親は音楽をやる事をとにかく強要していたので、楽器は本当になんでも良くて打楽器にしました。

 

 

 

練習が始まって学校も始まって、段々会話をしてくれる様になる母親。

 

前みたいな生活が戻ってくる。

そう思っていました。

 

 

 

 

高校が始まってしばらくして、何人か友人が出来ました。

 

 

いつも通り友人と夜中にLINEしていると、ふとあの嫌な思考に自分は沈んで行ったんです。

 

 

なんとなく友人に、自分の家の事を話しました。

誰かに家の事を話すのは初めてでした。

話すまでもない、これが当然だと思っていたから。

 

 

 

友人は一通り話を聞いた後、「お前の親、毒親だよ」と言いました。

 

そんな訳ないと思って調べれば調べるほど、自分の薄々と感じていた物が確実になっていく。

でもそれを確信はしたくない。

 

 

 

確かにそうかもしれない

いやでも、親をそう思うなんて最低すぎる。

ちゃんと愛されてる?

でも項目は当てはまってる

 

ひたすらに混乱。

受け入れたくない事実だけど、受け入れたい自分もいる。

救われたいけど救われたくない。

そんな気分でした。

 

 

 

 

 

そんな時、自分はネットで知り合った人と仲良くなりました。

ちょうどコロナ禍に入る前でした。

 

 

 

自分は幼稚園から、J-POPやボカロ等とにかく音楽を聴くのが好きで、もちろん中学から高校のあの日々も音楽だけが味方で、いつか音楽をやりたいと感じていました。

 

 

 

 

高校に入って友人からエレキベースを貰い、なんとなくバンドメンバーを募集した所、中学時代の友人のツテで仲良くなった人とその友達とバンドを組む事になりました。

 

 

きっと自分の人生の起点でした。

 

 

 

あの頃、きっと自分達は人生のどん底で、いつ自殺したっておかしくない。

身体を傷つけたり動けなかったり現実から逃げようと薬を大量に飲む日々。

それでも友達だけは大切にしてくれる。

 

 

 

 

 

自分の居場所が出来て、受け入れ方に気付きました。

 

 

 

 

あの最低な時期に出会えて良かった。

 

続く

人生vol.4

受験シーズン、もちろん母親は黙ってはいられません。

 

 

 

これまで以上に勉強をしろと強要する母。

その頃にはもう素直に母親の言う事は聞けませんでした。

 

それが仮に自分の人生が掛かっていたとしても、もうそれすらもどうでも良く感じていました。

 

 

 

学校を早退して塾へ行かされるとか、塾を転々としたりとかざらにありました。

 

きっともう限界でした。

私は学校へ行けなくなりました。

 

 

 

毎朝乗らなきゃいけない筈の電車に乗れず、ホームに座り込み担任に嘘の電話をし、ひたすらに座り込む。

そうして、気が落ち着いたら学校へ行く。

そんな毎日でした。

もちろんただでさえ出来ない勉強も更に追いつかず、自分にとって受験なんてどうでもいい事でした。

 

 

 

行きたい高校もないから母親の言われた通りの高校を希望して、担任に「なんでここにしたの?」と言われ「お母さんが言ったから」と伝え怒鳴られ、家に帰っても深夜まで勉強を強要される日々。

 

精神が限界でした。

 

 

 

自分を見つめるシーズン、本当にやりたい事がなかったんです。

それでも周りはしっかり進路を決めていて、自分だけずっと子供のまま。

 

 

 

母親に頼み込んで、精神病院に行きました。

 

本当は薬を貰わなきゃだったけど、「気のせいだよ。あんな所もう2度と行かないで」と言われて一度行ったっきりでした。

 

 

 

 

ただひたすら泣きながら、何かしたくても出来ない自分を責めて、殴る日々。

 

 

当日母親に受験するのを辞めろと言われ、言われた通り辞めて担任に怒鳴られても決して母親のせいとは言えませんでした。

それほど自分の中で母親は絶対的な存在だったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

受験は失敗に終わりました。

 

 

 

 

 

 

なんとか入った高校の入学手続き、母親に何を言っても怒声で返ってくる日々。

目も合わせない父親。

 

いつの日か守ってくれる様になった姉も、大学で家を出てしまって家には味方なんて居ませんでした。

 

 

 

 

入学式が終わった後、母親は自分に一言

 

 

 

 

 

 

 

「あんたの存在が本当に恥ずかしい」

 

 

 

 

 

 

 

これ以降3ヶ月間、母親と会話をする事はありませんでした。

 

続く

人生vol.3

中学校に上がって、私は完全に人格をチェンジしました。

 

 

いや、表に出ている自分が素で家にいる自分が偽りだったと思います。

 

 

 

 

小学校時代、散々妖怪と言われ家に帰り「虐められているから学校行きたく無い」と言うと、「そんなの勘違いだよ」と笑った父親。

「バカなこと言ってないで学校行きなさい」と言う母親。

 

 

全てを0にする為、いや、全てがどうでも良くなって髪の毛をバッサリと切りました。

 

 

 

中学校は比較的楽しかった気がします。

生憎、本能のせいか嫌な記憶はごと蓋をしてしまうので引きずり出しても断片的な記憶しかありませんが。

 

 

友達に恵まれていたな、と思います。

 

 

 

 

 

中学に入って私は吹奏楽部に入りました。

その時ちょうど母親に口を聞いてもらえず、母親は音楽が好きだったのでガキなりに「吹奏楽部に入れば喜んでくれる!」と思ったんでしょう。

 

 

吹奏楽部に入部したよ!」と伝えると母親は「あぁ、そう」と一言残して自室へ戻りました。

 

 

 

その頃、仲が良く無いのもありましたが母親は基本的に話を聞いてくれなかったので何も思っていませんでした。

いや、何も思っていないふりを続けていたんだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

この頃から自分の中で余計な思考が邪魔する事が増えました。

 

小学校までは訳もわからず寝る前に涙が溢れていたのですが、その正体はわからぬまま眠りについていました。

 

 

しかし中学生にもなるとなかなか自制が効かないと言いますか、自我が芽生えてしまったんでしょうか。

 

 

 

普段通り部屋に呼び出されると、母親は自分に言いました。

 

「お母さん、貴方のせいで死んじゃうかも」

 

 

そこから何かある度に母親は死をちらつかせる様になり、それをきっかけにひたすら自己嫌悪の日々が続きました。

 

 

 

 

 

 

そういう時間ってよくないもので、段々些細なことでも全て自分のせいにしてしまうんですね。

 

学校に行くのが嫌になりました。

きっかけが多すぎるから。

 

 

それよりも何よりも、自分の友達を当然の様に悪く言って、「仲良くするな」と規制してくる母親に嫌気がさしたのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

学年は上がり、遂に受験シーズンが始まります。

 

 

続く