人生vol.1

はじめまして。音大生です。

 

音大生だからと言って音楽の話ばかりするのは好きではありません。

まずは顔も知らない皆様に自分の人生でもさらけ出すところから始めようかな、と思います。

 

不愉快になる部分や、あなたの嫌な記憶を引きずり出してしまうかもしれませんが決してお涙頂戴ではなくてただこれからひたすら思想をつらつらと書くにあたって自分の人生を知っておいた方が理解し易いのかな、と。

 

 

 

 

っていうのは建前で、ただ自分がこの過去に囚われているので皆様に共有する事でこの呪いを分散出来るのではないかと思っているのが本音かもしれません。

 

長々と続きますが本当に暇な時とかに読んでもらえたら幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

まず自分は2003年に千葉県にて産まれました。

家族は父、母、姉(6上)の4人家族です。

 

 

記憶は断片的にしか無いのですが、物心ついた頃から両親は共働きで基本的に家には居ませんでした。

なので幼稚園のお迎えは基本的に祖母でした。

時には夕方まで母親を待つ事もありましたが、、

 

 

 

 

世の子供達を見ると幼稚園時代はみんな公園で遊んでいたのが普通なのでしょうか?

生憎自分は家でひたすら勉強をしていました。

何故なら母親が喜ぶから、友達と遊んだ記憶も数えるほどしか無い様な気がします。

 

 

家に帰るとまず手を洗って、ご飯を食べて、そこからドリルを開きます。

幼稚園の年長になる頃には小学1年〜小学6年の漢字を全て学んでいました。

 

本を読むのが好きだったのでそれほど苦痛ではありませんでした。

 

 

一番苦痛だったのは算数

何か出来ない問題にぶつかると、みんな親が教えてくれますよね。

どう教えてくれるかは分かりませんが、私の家は出来ない問題があると母親が来て、「どうして出来ないの?なんで出来ないの?」と問い詰めて来ます。

そこから私が間違った答えを言うと「違う」と言って頭を殴るわけです。

 

「間違い=暴力」という公式が自分の中で出来てしまった自分は、そこから間違える事に対して恐怖を覚えます。

それ以降親に聞かれても、身体が震えて声が出せなくて、感情が溢れて泣いてしまうんです。

 

それでも母親は「どうして答えないの?なんで泣くの?」と、私を引っ叩き最終的に私を椅子から引きずり下ろして罵詈雑言浴びせながら物を投げつけて来るのです。

外へ投げ出される事もありました。

 

 

そうして一連が終わった後、母親は優しく私を抱きしめて「ごめんね」と謝り泣くのです。

 

 

自分ができないから母親は泣いているんだ、と

自分のせいで大好きな母親を悲しませているんだ、と子供ながらに泣いたのを覚えています。

 

 

 

小学校時代、私は幼稚園から中学校までエスカレーターだったので受験の必要もなく小学校へ進学しました。

母親に習って欲しいと言われたピアノも始めました。

 

 

その頃、両親は仲が悪かった様な気もします。

私がだんだん言葉を学び、人と話す様になってから夜母親に部屋へ呼ばれてお決まりの質問を受けました。

 

「お父さんとお母さん、どっちについて行く?」

 

2人とも一緒に居たい、と言っても「どっちかじゃ無いとダメ。」としか言われないので「お母さん」と答えていました。

 

ただ単純に母親が好きで、姉は父親が好きでそっちに行くだろうと思ったのもありますがそれよりもそう言ったら母親は喜んでくれるだろうと子供ながらに考えていました。

 

 

自分が何か気に食わない事をしたり勉強が出来ないと暴力を振るわれる。

それでも、それ以上に優しくしてくれる母親が大好きでした。

いや、3割ぐらい姉に嫌われている母親を憐んでいたのかもしれません。

 

 

姉は気付いたらよく母親と喧嘩をしていました。

月に数回、姉か母親が家を出て行く日がありました。

腹が立った勢いで良く私も怒られていましたが。

 

 

私も姉とは仲が悪く、よく喧嘩をしました。

もちろん6個上には勝てるはずも無く、結局自分は姉も大好きでしたが姉はきっと私の事も嫌いだったと思います。

 

 

 

 

小学5年の出来事をよく覚えています

 

姉が私の目の前で自殺未遂をしました

いつも通り夜に勉強している時でした。

 

 

 

物音がしたので見ると姉がジロリと自分を睨みつけるわけです。

「何してるの?」と聞いても「うるさい、だまれ」としか返ってこず、「なんだこの人」と思って勉強を続けていました。

 

キッチンで何かを飲み干す姉、何度か飲むと姉は自室へ戻りました。

 

 

 

 

 

 

そこから暫く経った頃、深夜でしょうか。

母に指定された範囲の問題集が終わらず苦戦していると、2階からドタバタと

親が必死に姉を呼ぶ声が聞こえました。

 

 

次第に救急車のサイレンが聞こえ、姉は搬送されました。

あの時自分の目の前で飲んでいたのは、大量の除草剤でした。

 

 

 

 

子供すぎたせいもあってか、涙は出ませんでした。

 

 

夜中、病室から母親が出て来るのを、父親と2人で待った記憶が微かにあります。

 

 

 

 

 

 

姉は1日入院して帰ってきました。

もちろん自殺とかなんだとか、ガキには分からないわけで、「なんで除草剤大量に飲んでんの」と姉に聞くと姉は真っ直ぐ自分の目を見て言いました。

 

 

 

 

 

 

 

「お前の事が嫌いだから自殺しようとしたんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

その時は何も思わなかったのに、今となって涙が出るのは何故でしょうか。

 

 

 

続く