記憶
こんばんは。
先日、親戚(祖母の姉妹)の納骨へ行きました。
次の日祖母と久々に沢山話をして、「どうか忘れないで」と言われたのでここへ記します。
事の発端は祖母の嘘がバレた事でした。
帰ってきて早々祖母と同居している姉が激怒。
話を聞くと、祖母は元々お酒が大好きでほぼアルコール依存症でした。
それで何度か急性アルコール中毒で搬送され、ある時医者から癌を宣告されました。
父も癌患者の今、とても神経質になっている家族は祖母に早急にお酒を辞めるように伝え半年。
どうやら飲酒していた事がバレたようで、姉が激怒していました。
姉が家に帰ると祖母がやけに怒っていて、「もう出て行く」と一点張り。
それで姉が不思議に思い見ると飲酒の痕跡が
それにより今まで祖母が陰で飲酒していた事が発覚し、家族の中で問題になった訳です。
その話をしていた時、ちょうど祖母が階段を降りて行く音が聞こえたので後を追うと祖母はまだご立腹で「出て行く」と言われたので、話を聞く事に。
ここからが本題です。
自分の祖父は、専門学校経営者でそれに続き祖母は事務、母は校長で父が副校長、と家族総出で学校を支えてきました。
祖父は元々運送会社をやっていて、そこで金を儲けるようになってから金貸しの副業を始めそこにやってきたのが、今経営している学校の創立者でした。
「給料が払えないから金を貸してくれ」と毎月やってくるのに対し祖父は、自分がその学校を請け負うと別荘や土地も何もかも売って校舎を作り、何千万もの借金を背負いながらもその学校の経営者に。
祖母はとても苦労人でした。
幼少期は貧乏で、無事結婚し子供が生まれるも離婚。
その子供を連れて2人で暮らし、再婚したのが今の祖父でした。
その際連れていた子供が母でした。
学校を繋いで行く為に祖母も母も、ましてや父も犠牲になったと祖母は語りました。
父は元々トラックの運ちゃんで、母と結婚する事になってから専門学校へ通い直し無事教員になりました。
そこから学校の経営は安定しましたが、祖母の苦労が終わることはなく。
私が幼い頃、何度か会いに行っていた曽祖母は祖母が知らない間に老人ホームを移動していました。
曽祖母の世話をしていた弟から何も知らされていなかった祖母は、前の老人ホームへ移動先を聞き無事再会。
話を聞くと費用が払えなくなったとの事。
85万の借金を残して移動した老人ホームには祖母が代わりに返済をしましたが、祖母は曽祖母の死を知らされることはありませんでした。
それから弟とは縁を切り、一度金を貸してくれと自宅に来て以降もう会うことは無いそうです。
そこから祖父が倒れてから1人になった祖母は、疎外感を感じて「それならもう全て捨ててどこかでゆっくり過ごしたい」と溢すのでした。
そこで話は終わりませんでした。
祖母は私の知らない間に祖父を訴訟して離婚していたのでした。
突然の報告に動揺を隠せない自分に追い討ちをかけるように「祖父は中国人と籍を入れて今子供がいる」と伝えられたのです。
元々2人は仲が悪く、きっと祖母は沢山苦労したと思います。
祖母は「あんたに全部話してスッキリした」と笑顔で眠りにつくのでした。